切迫早産

2020年6月11日

不妊治療をなんとか乗り越え、やっと妊娠し、すくすくと育つお腹の中の赤ちゃん。
妊婦検診が毎回、すこぶる良好のため、このまま無事出産まで行ってくれると信じてやみませんでした。
しかし、あれだけつらい不妊治療を経験した私達夫婦に、まだこんな試練が待っているなんて。。。

30週1日(30w1d)で切迫早産と診断されました。

ある日突然

7回目の妊婦検診に行きました。
いつも楽しみにしている腹部エコー。
頭囲や腹囲から成長は順調、心拍も問題ないとのことで、喜んだのもつかの間。
続いて経腟エコーを行ったところ・・・
先生「あれ?支給経管の長さが・・・。」
私「え?」
先生「12ミリしかありません。この後すぐ緊急入院です。」
私「ええっ!?」
2,3回前の検診で計測した時には十分すぎる程長かった子宮頸管の長さが、突然短くなっていたのです。
そういえば、前回の検診で助産師さんから何げなく「お腹の張りを感じたりしませんか?」と聞かれ、「特に感じません。」「ならいいんですよ。」という会話がありました。
今思えば、あの頃から子宮の張りが強まっていて、少しずつ頸管長が短くなっていたんだと思うのですが、初産だった私には子宮が張っている感覚というものがわかっていませんでした。
そこから長い入院生活が始まりました。

入院が決まって、まずは胎児心拍と子宮の張り具合を計測する機器を取り付けました。
自分では全く自覚がなかったのですが、子宮の張りが定期的に起こっていて、すぐに子宮収縮を抑制する点滴を投与することになりました。
この点滴は24時間ずっと刺しっぱなしで、お風呂の時もトイレの時もずっと一緒に生活することになるのです。

入院生活開始

こうして突然始まった入院生活。
3人部屋でしたが、私と同じ切迫早産の妊婦さんが1人先に入院していました。
基本、体を動かす事を禁止されているため、寝てるか、食べるために座るか、トイレに行くかのどれかになります。

わたしの場合、入院して間もなかったし、頸管長が短かったので、シャワーも禁止で毎日夜に蒸しタオルをもらって身体を拭いていました。
また、テレビも音は出せないので、イヤホンで聞くことになります。
お腹の子のために、頑張らないといけないことはわかっていますが、あまりにも何もやること、できる事がないため、時間がたつのが恐ろしくゆっくりでした。

唯一の楽しみは3度の食事ですが、ずっと寝たきり状態でお腹が全く減らないので、ちょっとしたノルマのようになっていました。
夫も毎日来てくれましたが、基本何もやる事がないため、夫が持ってきてくれたswitchで遊んでいました。

相部屋の妊婦さんの夫がだいたい18時頃に毎日お見舞いにくるのですが、奥さんは差し入れを食べて、旦那さんが奥さんの入院食を食べていた事が衝撃でした。
その夜、奥さんが電話で旦那さんと会話しているときに、「隣の患者さん(私)子宮頸管12mmなんだってー、たぶんすぐ転院すると思う。」
と電話する声が聞こえて、なんだか笑ってしまいました。

それと同時に、一段と怖くなってきました。
入院中、夫や隣の妊婦さんの会話など、その瞬間、瞬間は考えないようにしていましたが
今この瞬間にも早すぎる赤ちゃんが出てきてしまうのでは。という不安で、心がつぶれそうになりました。
赤ちゃんが早くでてくる夢も見てしまうし、精神は限界に達しようとしていました。。。。

そして転院へ

ついに恐れていたことがおきました。
診察の際に子宮頸管が8mmとなっていたのです。
子宮頸管の長さが10mmより短くなると、出産がいつ始まってもおかしくない状況になります。
つまりもう数時間後には産まれる可能性があるのです。
この時点で31w1dです。推定体重は1500gもありません。

そのまま、NICUがある病院へと搬送されました。
病院から病院は救急車になります。
やはりサイレンを鳴らしていただき、最速で病院に引っ越しとなりました。

入院して、しばらく大きな変化がなかったので楽観視していましたが。
やっぱりだめでした。
この瞬間、覚悟を決めました。

集中治療室へ

病院につくやいなや、集中治療室へ運ばれました。
個室になっていて、そこで医者から帝王切開の説明を受けることとなります。

しかし、この時点ではまだ週数が少ないと判断され、1日でも長くお腹の中にとどめておく方がよいだろうという事で、点滴の量を増やし、1日、いや数時間でも子を大きくする事にしました。
しかし、お腹の張りが頻繁におきたり(つまり陣痛)、出血、破水すると帝王切開まったなしの状態です。

今31週。。。
通常分娩は37週からと言われています。
この時医者からは、現在では、31週の未熟児で生まれてもNICUに入りさえすれば、命は助かる確率はかなり高いといわれました。
ただ、31週ではまだ肺を始めとした臓器が未完成のため、命は助かっても重大な障害が残る可能性があるともはっきりと言われました。
1日でも多くお腹の中で大きくするにこしたことはありません。

がんばれ赤ちゃん、もう少し出てくるの待って、せめて、あと1週間まって。。。

夫と一緒にお腹の中の我が子に一生懸命話し続けました。


なんとか一般病棟へ

集中治療室で2週間耐える事ができました。
一般病棟へ移れる事になりました。一般病棟は、出産待ちの妊婦さんや、出産後の生まれたての赤ちゃんもいます。自分もこんなにかわいい赤ちゃんを産むんだという気持ちで、なんとか37週まで持ちこたえようと思いました。
一般病棟では、もう入院生活にあきた私は入院食もあまり食べれなくなってしまいました。
夫に海苔やふりかけを買ってきてもらい、それらをかけてやっと食べれていました。
最後の方は夫も外食続きで体がまいっていた事もあり、私は差し入れのお菓子を食べて、夫が入院食を食べておいしいおいしい言ってました。
そういえば、最初に入院した病院で先に入院していた妊婦さんの夫もそうだったなぁと二人で笑いました。

ついに37週

37週まで無事お腹の中に維持できた事で、今度は逆に深夜の破水などが危ないという判断となり
帝王切開で産む事になりました。

頑張ったね、お腹の中の赤ちゃん。ほんとに頑張ったね。ほんっとによく頑張ったね。
でも最後までやっぱり逆子は治らなかったんだね(笑)
最後は帝王切開で産むからね。
産まれたら、元気に泣くんだよ。かわいい声を聞かせてね。